城と館ー室野源太左衛門城館調査録ー

中世山城や古建築など、巡り歩いた情報を発信します。当面の間、過去の訪問先の情報が主になりますが、近い年月日の情報も随時発表していきます。

2021-01-01から1年間の記事一覧

遠野市松崎町松崎 真立館(まったつだて)

12月25日(土)遠野市松崎町の真立館を調査した。遠野市立博物館学芸員の前川さおり氏の案内で、平泉町役場の八重樫忠郎氏と室野秀文の3人で行った。 調査のきっかけは前川氏のFacebookのフィールドノート(2021年9月17日)の頂部平場の写真であった。平坦地…

浄法寺城ー令和3年度第2回二戸市民歴史講座『浄法寺城を歩く』ー 12月5日(日曜日) (現地講座要旨)

中世の糠部(ぬかのぶ)は、一国に相当するほどの広大な領域でした。郡域は一戸・二戸・三戸・四戸・五戸・六戸・七戸・八戸・九戸の九つの「戸(へ)」と、南・北・東・西の「門(かど)」の行政区に分かれていました(九戸四門の制)。鎌倉時代、糠部は北…

謎の山城 滴石大館

岩手県盛岡市の西方、秋田県境に近い、岩手郡雫石町山津田にある大規模な山城。雫石川の北岸、JR秋田新幹線と国道46号線のすぐ上にある標高354m、比高120mの山上にある。JR田沢湖線の赤渕駅(雫石駅から西へ二駅目)の北東に見える山で、登る際には、…

貝吹岳ー戸沢氏狼煙台ー

岩手県と秋田県の境、奥羽山脈の貝吹岳(かいぶきだけ)は、国見峠の南にある、標高992mの山である。ここは、岩手県岩手郡雫石町から秋田県仙北市に抜ける、国道46号線仙岩トンネル真上の仙岩峠から、南へ700mほどの位置にある。現在山頂には、国土交通省…

すあま棒

昔、こどものころ、信州で食べた餅菓子の「すあま」は、紅白の2種類で売られていて、 地域の人々に好まれたお菓子だった。 当時、私はこのお菓子が大好きで、知人や親せきの人が「すあま」を手土産に家に来ると、本当にうれしかったものだ。 その「すあま」…

遠野市宮代Ⅳ遺跡現地説明会・横田城・阿曽沼氏墓碑

9月25日(土)、久しぶりに、遠野市教育委員会の発掘調査現地説明会に参加・見学しました。 遠野市松崎町の、遠野七観音の一つ、松崎観音堂の北東の丘陵先端に宮代Ⅳ遺跡があります。この遺跡は縄文時代と平安時代集落跡、平安時代末の経塚の複合遺跡で、岩石…

秋田県横手市雄物川 沼舘城

横手市雄物川の沼舘にある平城で、戦国期の小野寺氏の居城の一つである。段丘崖上の自然堤防を活用して構築されている。平安時代11世紀の清原氏が立て籠った沼柵もこの付近と推定されている。 沼舘城位置図 雄物川の氾濫原から見た沼舘城 本丸跡の蔵光院山門…

岩手県九戸郡九戸村 江刺家館(えさしかだて)

折爪岳の東麓にある九戸村は、古くから馬産地で、九戸牧があったところです。室町時代から戦国時代には、九戸氏の本拠地がありました。東北自動車道八戸道の九戸ICのすぐ近くに江刺家館があります。九戸氏配下の領主江刺家氏の居城跡で、南東側の段丘縁辺に…

岩手県北上市川岸 黒沢尻安倍館

東北新幹線北上駅から東に出ると、川岸(かし)の安倍館公園があります。北上川の西岸です。 11世紀安倍氏の柵の一つ。黒沢尻五郎正任の柵して陸奥話記に記される柵で、川岸の安倍館に所在したと考えられています。発掘調査では中世城館の堀や竪穴建物跡、天…

盛岡城三ノ丸の烏帽子岩

盛岡城三ノ丸の大手筋、瓦門の虎口です。現在、石垣修復工事が始められようとしています。 瓦門に向かって左側(東側)、巨大な烏帽子岩が目を引きます。 現在、三ノ丸の北東部には、盛岡藩主を祀る桜山神社が鎮座していますが、 この場所は不来方城(こずか…

発掘の整理作業しています

以前在職中に発掘調査した、盛岡市西鹿渡遺跡の整理作業(発掘調査報告書作成作業)をしています。奈良時代の竪穴建物跡を調査して、このような朱彩の高坏も出土しました。ほかにも朱彩痕のある土器がいくつか出土しています。 本日(8月26日)図を組んで、…

盛岡城三ノ丸石垣

盛岡城三ノ丸北石垣、瓦門跡北側の調査が始まりました。継続調査です。 瓦門跡北石垣 西から見た調査現場 石垣上面のトレンチ調査(東から) 栗石を剥ぐと、中央が盛土。両側が石垣の裏込め石になっていました。

一関市東山町 掻引城(駆引城)

先日、大東町摺沢城を見に行った帰り、掻引城に立ち寄りました。 長坂千葉氏の城館で、唐梅館は険しい山城。掻引城は平時の居城であったと考えられています。天正18年(1590)唐梅館は、葛西氏に仕える千葉氏一族が参集し、豊臣秀吉の奥羽仕置に抗することを…

盛岡城遠曲輪堀跡2

盛岡市名須川町の曹洞宗東顕寺の門前です。 曹洞宗東顕寺 門の向かい側にのびる、細長い寺の駐車場は、盛岡城遠曲輪の北辺の堀跡になります。 門前向かいの堀跡(駐車場) 詳細に言うと、右側(寺側)の道路は、堀に沿った道を、堀側へ拡幅した道路で、この…

安倍館山下山途中のこと

<前書き> この話は、このブログのカテゴリーのうち、「岩手県の城館」と「安倍館を歩く」にある「釜石市片岸町安倍館」の記事に一緒に書いてあった内容です。しかし、記事の内容から「怪異」の中に移動したものです。記事は一部改変しています。 東北地方…

一関市東山町松川 内館(内城)

内館遠景(北から) 内館位置図(国土地理院) 昭和22年(1947)の内館(国土地理院webサイト) アメリカ軍撮影の空中写真で、城館の地形がたいへんよくわかります。左上から左下へ流れるのは砂鉄川です。本丸はこの砂鉄川に侵食された崖に面しています。 内…

蛍取りの記憶

西日本や東海地方などから、蛍の便りが聞こえるようになった。 間もなく、東北地方でも見られるようになるだろう。 蛍といえば、幼い頃に母と兄と三人で行った蛍取りの記憶が蘇ってくる。 確か、私が小学校1年生の頃だったと思う。 夜の8時ごろ、家から15分…

上田組丁から四ツ家惣門・遠曲輪堀跡

盛岡城下町は、城を中心に、三重の堀が構えられて、御城内(ごじょうない:内曲輪)、外曲輪(そとくるわ)、遠曲輪(とおぐるわ)が、梯郭式(ていかくしき=城を要とした扇形の縄張り)に配置されておりました。 奥州街道は、南の仙北丁から北上川を渡り、…

上ノ国勝山館

渡島半島日本海側の上ノ国勝山館跡(国指定史跡)です。ここは松前氏の祖、武田信広が15世紀後半に築城した山城で、16世紀末に城の役割を終えました。上ノ国町教育委員会の継続的発掘調査により、その全体像が明らかになりました。発掘調査では掘立柱建物跡…

三ツ石神社ー鬼の手形ー

岩手県盛岡市名須川町の、曹洞宗東顕寺(とうけんじ)の裏手にある神社で、古くから「三ツ石の神様」として、あがめられています。 三ツ石神社の佇まい 背景に東顕寺の庫裏や本堂、開山堂が見え隠れします。 三ツ石神社・東顕寺付近図 境内の三ツ石 説明板 …

世田谷観音の阿弥陀堂

旧二条城から移されたといわれている楼閣です。 新型コロナが蔓延する前に、東京に行く機会があり、立ち寄りました。 世田谷観音の阿弥陀堂 三階の楼閣です 二条城のどこにあったものなのでしょうか。 裏側からみたところ 二条城のどこにあった建物なのかわ…

根城:岩手県宮古市根城

岩手県宮古市の、閉伊川の南岸(右岸)にある山城。閉伊地方中世史研究の先駆者、田村忠博氏(故人)は、平安末期から続く閉伊氏が、南北朝期に築いた山城として、著作『古城物語ー宮古地方の中世史ー』で紹介しています。 根城(北東側:閉伊川の堤防から)…

高松の池

盛岡市の高松一丁目にある、高松の池は、市民の行楽地です。桜の名所100選にもなっている公園ですが、去年と今年は、桜は開花しましたが、桜まつりは中止されました。残念でした。 高松の池中堤 江戸時代の初め、盛岡南部氏により、盛岡城下建設が行われまし…

大館ー中世滴石の詰城かー

■ 大館の位置 岩手県岩手郡雫石町山津田にある大形の山城。館の主は不明ですが、位置と規模からみて、雫石城(滴石城)と関係する山城と推定されます。 大館(南西から) 大館(南東から) 大館(東から) 北側(右側)の山から尾根が伸び、先端が高くなった…

怪しい光—東京都青梅市御嶽山ー

写真には、時に、意外なものが写りこむことがあります。 2012年の12月15日、東京都青梅市の御嶽山に参拝しました。この日、山は曇り空で、木々の葉もだいぶ落ちていましたが、多くの参拝客でにぎわっていました。御岳山は標高929mの山で、山頂の御嶽神社に…

玉山館ー河村氏系玉山氏の居城ー

積雪期の玉山館(西から) 右側が主郭の大館、左側は小館、大館と小館の間は大きな堀切 盛岡市玉山城内にある中世城館で、室町時代から戦国末期まで、この地域の村落領主、河村氏系の玉山氏の居城でした。現在は大半が農地で、夏場でも遺構が見やすい城です…

小屋崎館

盛岡市玉山の北部、寺林を北上し、岩手町川口駅の手前、国道4号線が大きくS字カーブしながら、鉄道を越える所(鉄道ファンが列車の写真を撮っていることがある)から、正面左手に小屋崎館(こやさきだて)が見える。この館(たて)は、北上川右岸に接し、…

大釜館と八幡館

岩手県滝沢市の大釜にある城館。JR田沢湖線・秋田新幹線の大釜駅(※新幹線はとまりません)から徒歩15分ほどのところに東林寺という寺があり、その周囲が大釜館跡です。戦国時代末期には、和賀氏の支族大釜氏が居住していました。 東方から大釜と八幡館山…

蝶ヶ森館(経ヶ森:盛岡市門真立)

5月2日の廻館考で述べた、 盛岡市門(かど)の真立(まだて)にある蝶ヶ森館(ちょうがもりだて)。 江戸時代の文献や、大日本地名辞書(吉田東伍1906)には、経ヶ森と記されており、蝶ヶ森と呼ばれるようになったのは、さほど古いことではないらしい。山頂…

廻館考

私のフィールドに、時折、マタテ・マワッタチ・マッタヅなどの地名がある。漢字にすれば、真館・間館・廻館・真立などと標記される。多くの場合、その場所か近傍に、山城が存在する。 盛岡市門(カド)と東安庭との境にある蝶ケ森(経ケ森)には、空堀が二重…