城と館ー室野源太左衛門城館調査録ー

中世山城や古建築など、巡り歩いた情報を発信します。当面の間、過去の訪問先の情報が主になりますが、近い年月日の情報も随時発表していきます。

(仮称)白坂館ー北海道桧山郡松前町白坂ー

APから新居に引っ越して間もないので、部屋の中は荷物でごった返している。本や資料のファイルを、新しい本棚に移動させ、早く片づけたい。段ボール箱から取り出した資料の中からなつかしいファイルが出てきた。北海道の上ノ国町、松前町の館跡の記録だった…

中野館(盛岡市茶畑)

盛岡市中心市街地南東部。盛岡八幡宮の南側、茶畑一丁目地内にある松尾神社は酒造業者の信仰を集める神社である。この神社がある高台は、戦国末期の中野館に二ノ丸の先端部で、西側麓を通じた街道を監視する物見が置かれた場所と考えられる。 中野館は、昔、…

宇部館(野田城)

岩手県久慈市宇部、同県九戸郡野田村との境界に近い、陸中宇部駅の西方400m、宇部川と北の腰川の合流点に突き出した丘陵の上に立地している。下の平地との比高は約20mである。 宇部館位置図 国土地理院地図 宇部館位置 宇部館は八幡館とも呼ばれる Google …

比石館(北海道桧山郡上ノ国町石崎)

比石館位置図 (国土地理院地図に加筆) 北から見た比石館 中央の灯台の岬が館跡 いわゆる道南十二館の一つ、畠山重忠の末裔とされる厚谷将監重政が1440年ごろ渡道し築いた館とされる。康正三年(長禄元:1457)コシャマイン軍の攻撃により陥落。その後再興…

湯の高館(花巻市台)

岩手県花巻市台にある山城、東方に存在した金谷館(湯の舘:館主は高橋氏)の詰城である。場所は花巻温泉の西側、国立花巻温泉病院の南裏手の山上で、標高は240m、比高は90mの急峻な尾根に築かれている。南側は尾根の鞍部になっており、ここに三条の堀切が…

滴石古館・雫石城(雫石御所)

第1図 関係地図 (国土地理院地図に加筆) 雫石盆地は、岩手郡南西部にあたり、北上川沿いの岩手郡、斯波郡から、出羽の秋田方面へ向かう道筋で、周囲を山に囲まれた盆地である。中世滴石の鎌倉時代の動向は不明確。滴石の戸沢氏(滴石氏)が史料に明確に表…

三戸城 1 ー立地と縄張ー

青森県の南端、三戸郡三戸町にある山城で、戦国時代は三戸南部氏居城。慶長8年(1603)盛岡藩成立後、南部利直は福岡城(二戸市)郡山城(紫波町)、三戸城を使用しながら盛岡築城を進めた。寛永10年(1633)盛岡城が完成すると、三戸御古城として存続した。…

上之国花沢館

北海道の渡島半島の日本海側、桧山郡上ノ国町字勝山にある山城跡(国指定史跡)。いわゆる道南十二館の一つで、長禄元年(1457)のコシャマインの戦いでは、茂別館(北斗市茂辺地)と花沢館が残り、他の城館は、コシャマイン軍によって陥落したという(新羅…

安倍貞任伝説の山城 阿部館山(H=1221m)

※ 以前投稿していた、阿部館山登頂記を改稿しました。 写真1 阿部館山遠景 滝沢市八幡館山からの遠望、山の手前市街地は盛岡市 1 阿部館山の位置 岩手県盛岡市と、同県下閉伊郡岩泉町との境界にある大規模な山城跡。標高1221m、盛岡市側の中津川との比高61…

遠野市松崎町松崎 真立館(まったつだて)

12月25日(土)遠野市松崎町の真立館を調査した。遠野市立博物館学芸員の前川さおり氏の案内で、平泉町役場の八重樫忠郎氏と室野秀文の3人で行った。 調査のきっかけは前川氏のFacebookのフィールドノート(2021年9月17日)の頂部平場の写真であった。平坦地…

浄法寺城ー令和3年度第2回二戸市民歴史講座『浄法寺城を歩く』ー 12月5日(日曜日) (現地講座要旨)

中世の糠部(ぬかのぶ)は、一国に相当するほどの広大な領域でした。郡域は一戸・二戸・三戸・四戸・五戸・六戸・七戸・八戸・九戸の九つの「戸(へ)」と、南・北・東・西の「門(かど)」の行政区に分かれていました(九戸四門の制)。鎌倉時代、糠部は北…

謎の山城 滴石大館

岩手県盛岡市の西方、秋田県境に近い、岩手郡雫石町山津田にある大規模な山城。雫石川の北岸、JR秋田新幹線と国道46号線のすぐ上にある標高354m、比高120mの山上にある。JR田沢湖線の赤渕駅(雫石駅から西へ二駅目)の北東に見える山で、登る際には、…

貝吹岳ー戸沢氏狼煙台ー

岩手県と秋田県の境、奥羽山脈の貝吹岳(かいぶきだけ)は、国見峠の南にある、標高992mの山である。ここは、岩手県岩手郡雫石町から秋田県仙北市に抜ける、国道46号線仙岩トンネル真上の仙岩峠から、南へ700mほどの位置にある。現在山頂には、国土交通省…

すあま棒

昔、こどものころ、信州で食べた餅菓子の「すあま」は、紅白の2種類で売られていて、 地域の人々に好まれたお菓子だった。 当時、私はこのお菓子が大好きで、知人や親せきの人が「すあま」を手土産に家に来ると、本当にうれしかったものだ。 その「すあま」…

遠野市宮代Ⅳ遺跡現地説明会・横田城・阿曽沼氏墓碑

9月25日(土)、久しぶりに、遠野市教育委員会の発掘調査現地説明会に参加・見学しました。 遠野市松崎町の、遠野七観音の一つ、松崎観音堂の北東の丘陵先端に宮代Ⅳ遺跡があります。この遺跡は縄文時代と平安時代集落跡、平安時代末の経塚の複合遺跡で、岩石…

秋田県横手市雄物川 沼舘城

横手市雄物川の沼舘にある平城で、戦国期の小野寺氏の居城の一つである。段丘崖上の自然堤防を活用して構築されている。平安時代11世紀の清原氏が立て籠った沼柵もこの付近と推定されている。 沼舘城位置図 雄物川の氾濫原から見た沼舘城 本丸跡の蔵光院山門…

岩手県九戸郡九戸村 江刺家館(えさしかだて)

折爪岳の東麓にある九戸村は、古くから馬産地で、九戸牧があったところです。室町時代から戦国時代には、九戸氏の本拠地がありました。東北自動車道八戸道の九戸ICのすぐ近くに江刺家館があります。九戸氏配下の領主江刺家氏の居城跡で、南東側の段丘縁辺に…

岩手県北上市川岸 黒沢尻安倍館

東北新幹線北上駅から東に出ると、川岸(かし)の安倍館公園があります。北上川の西岸です。 11世紀安倍氏の柵の一つ。黒沢尻五郎正任の柵して陸奥話記に記される柵で、川岸の安倍館に所在したと考えられています。発掘調査では中世城館の堀や竪穴建物跡、天…

盛岡城三ノ丸の烏帽子岩

盛岡城三ノ丸の大手筋、瓦門の虎口です。現在、石垣修復工事が始められようとしています。 瓦門に向かって左側(東側)、巨大な烏帽子岩が目を引きます。 現在、三ノ丸の北東部には、盛岡藩主を祀る桜山神社が鎮座していますが、 この場所は不来方城(こずか…

発掘の整理作業しています

以前在職中に発掘調査した、盛岡市西鹿渡遺跡の整理作業(発掘調査報告書作成作業)をしています。奈良時代の竪穴建物跡を調査して、このような朱彩の高坏も出土しました。ほかにも朱彩痕のある土器がいくつか出土しています。 本日(8月26日)図を組んで、…

盛岡城三ノ丸石垣

盛岡城三ノ丸北石垣、瓦門跡北側の調査が始まりました。継続調査です。 瓦門跡北石垣 西から見た調査現場 石垣上面のトレンチ調査(東から) 栗石を剥ぐと、中央が盛土。両側が石垣の裏込め石になっていました。

一関市東山町 掻引城(駆引城)

先日、大東町摺沢城を見に行った帰り、掻引城に立ち寄りました。 長坂千葉氏の城館で、唐梅館は険しい山城。掻引城は平時の居城であったと考えられています。天正18年(1590)唐梅館は、葛西氏に仕える千葉氏一族が参集し、豊臣秀吉の奥羽仕置に抗することを…

盛岡城遠曲輪堀跡2

盛岡市名須川町の曹洞宗東顕寺の門前です。 曹洞宗東顕寺 門の向かい側にのびる、細長い寺の駐車場は、盛岡城遠曲輪の北辺の堀跡になります。 門前向かいの堀跡(駐車場) 詳細に言うと、右側(寺側)の道路は、堀に沿った道を、堀側へ拡幅した道路で、この…

安倍館山下山途中のこと

<前書き> この話は、このブログのカテゴリーのうち、「岩手県の城館」と「安倍館を歩く」にある「釜石市片岸町安倍館」の記事に一緒に書いてあった内容です。しかし、記事の内容から「怪異」の中に移動したものです。記事は一部改変しています。 東北地方…

一関市東山町松川 内館(内城)

内館遠景(北から) 内館位置図(国土地理院) 昭和22年(1947)の内館(国土地理院webサイト) アメリカ軍撮影の空中写真で、城館の地形がたいへんよくわかります。左上から左下へ流れるのは砂鉄川です。本丸はこの砂鉄川に侵食された崖に面しています。 内…

蛍取りの記憶

西日本や東海地方などから、蛍の便りが聞こえるようになった。 間もなく、東北地方でも見られるようになるだろう。 蛍といえば、幼い頃に母と兄と三人で行った蛍取りの記憶が蘇ってくる。 確か、私が小学校1年生の頃だったと思う。 夜の8時ごろ、家から15分…

上田組丁から四ツ家惣門・遠曲輪堀跡

盛岡城下町は、城を中心に、三重の堀が構えられて、御城内(ごじょうない:内曲輪)、外曲輪(そとくるわ)、遠曲輪(とおぐるわ)が、梯郭式(ていかくしき=城を要とした扇形の縄張り)に配置されておりました。 奥州街道は、南の仙北丁から北上川を渡り、…

上ノ国勝山館

渡島半島日本海側の上ノ国勝山館跡(国指定史跡)です。ここは松前氏の祖、武田信広が15世紀後半に築城した山城で、16世紀末に城の役割を終えました。上ノ国町教育委員会の継続的発掘調査により、その全体像が明らかになりました。発掘調査では掘立柱建物跡…

三ツ石神社ー鬼の手形ー

岩手県盛岡市名須川町の、曹洞宗東顕寺(とうけんじ)の裏手にある神社で、古くから「三ツ石の神様」として、あがめられています。 三ツ石神社の佇まい 背景に東顕寺の庫裏や本堂、開山堂が見え隠れします。 三ツ石神社・東顕寺付近図 境内の三ツ石 説明板 …

世田谷観音の阿弥陀堂

旧二条城から移されたといわれている楼閣です。 新型コロナが蔓延する前に、東京に行く機会があり、立ち寄りました。 世田谷観音の阿弥陀堂 三階の楼閣です 二条城のどこにあったものなのでしょうか。 裏側からみたところ 二条城のどこにあった建物なのかわ…