2022-01-01から1年間の記事一覧
APから新居に引っ越して間もないので、部屋の中は荷物でごった返している。本や資料のファイルを、新しい本棚に移動させ、早く片づけたい。段ボール箱から取り出した資料の中からなつかしいファイルが出てきた。北海道の上ノ国町、松前町の館跡の記録だった…
盛岡市中心市街地南東部。盛岡八幡宮の南側、茶畑一丁目地内にある松尾神社は酒造業者の信仰を集める神社である。この神社がある高台は、戦国末期の中野館に二ノ丸の先端部で、西側麓を通じた街道を監視する物見が置かれた場所と考えられる。 中野館は、昔、…
岩手県久慈市宇部、同県九戸郡野田村との境界に近い、陸中宇部駅の西方400m、宇部川と北の腰川の合流点に突き出した丘陵の上に立地している。下の平地との比高は約20mである。 宇部館位置図 国土地理院地図 宇部館位置 宇部館は八幡館とも呼ばれる Google …
比石館位置図 (国土地理院地図に加筆) 北から見た比石館 中央の灯台の岬が館跡 いわゆる道南十二館の一つ、畠山重忠の末裔とされる厚谷将監重政が1440年ごろ渡道し築いた館とされる。康正三年(長禄元:1457)コシャマイン軍の攻撃により陥落。その後再興…
岩手県花巻市台にある山城、東方に存在した金谷館(湯の舘:館主は高橋氏)の詰城である。場所は花巻温泉の西側、国立花巻温泉病院の南裏手の山上で、標高は240m、比高は90mの急峻な尾根に築かれている。南側は尾根の鞍部になっており、ここに三条の堀切が…
第1図 関係地図 (国土地理院地図に加筆) 雫石盆地は、岩手郡南西部にあたり、北上川沿いの岩手郡、斯波郡から、出羽の秋田方面へ向かう道筋で、周囲を山に囲まれた盆地である。中世滴石の鎌倉時代の動向は不明確。滴石の戸沢氏(滴石氏)が史料に明確に表…
青森県の南端、三戸郡三戸町にある山城で、戦国時代は三戸南部氏居城。慶長8年(1603)盛岡藩成立後、南部利直は福岡城(二戸市)郡山城(紫波町)、三戸城を使用しながら盛岡築城を進めた。寛永10年(1633)盛岡城が完成すると、三戸御古城として存続した。…
北海道の渡島半島の日本海側、桧山郡上ノ国町字勝山にある山城跡(国指定史跡)。いわゆる道南十二館の一つで、長禄元年(1457)のコシャマインの戦いでは、茂別館(北斗市茂辺地)と花沢館が残り、他の城館は、コシャマイン軍によって陥落したという(新羅…
※ 以前投稿していた、阿部館山登頂記を改稿しました。 写真1 阿部館山遠景 滝沢市八幡館山からの遠望、山の手前市街地は盛岡市 1 阿部館山の位置 岩手県盛岡市と、同県下閉伊郡岩泉町との境界にある大規模な山城跡。標高1221m、盛岡市側の中津川との比高61…