上田組丁から四ツ家惣門・遠曲輪堀跡
盛岡城下町は、城を中心に、三重の堀が構えられて、御城内(ごじょうない:内曲輪)、外曲輪(そとくるわ)、遠曲輪(とおぐるわ)が、梯郭式(ていかくしき=城を要とした扇形の縄張り)に配置されておりました。
奥州街道は、南の仙北丁から北上川を渡り、城の南東側の穀丁惣門(こくちょうそうもん)から遠曲輪に入り、城の東側から北側を廻り、本丁から四ツ家惣門を通り、上田桝形から北上していました。
遠曲輪の外側、奥州街道筋の城下町北の入口が上田桝形(うえだますがた)です。ここは現在の国道4号線と国道46号線、上田通りの交差点です。NHK盛岡放送局の前のところです。桝形より内側の道筋は、江戸時代に足軽屋敷が並ぶ上田組丁(うえだくみちょう)でした。現在は上田通りと呼ばれ、商店や住宅が並んでおります。
上田組丁から南へ進むと、途中、右側に三戸丁の通りが分岐します。
三戸丁へ進まず、そのまま進めば、遠曲輪の北西側の四ツ家惣門跡に至ります。遠曲輪とは、盛岡城の総構えのことです。堀の内側に土塁が築かれ、土塁上には柴垣がめぐらされておりました。土塁の桝形は、クランク状になっていましたが、現在はやや緩やかな曲折に変わっています。
この裏手(西側)に赤川堰という水路がありました。これが盛岡城遠曲輪の堀跡です。