城と館ー室野源太左衛門城館調査録ー

中世山城や古建築など、巡り歩いた情報を発信します。当面の間、過去の訪問先の情報が主になりますが、近い年月日の情報も随時発表していきます。

玉山館ー河村氏系玉山氏の居城ー

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積雪期の玉山館(西から)

右側が主郭の大館、左側は小館、大館と小館の間は大きな堀切


 盛岡市玉山城内にある中世城館で、室町時代から戦国末期まで、この地域の村落領主、河村氏系の玉山氏の居城でした。現在は大半が農地で、夏場でも遺構が見やすい城ですが、農作物がある時期は、見学には充分注意が必要です。玉山村当時は村指定史跡。現在は盛岡市指定史跡になっています。

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玉山館位置図(国土地理院Webサイトより)

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玉山館と周辺(国土地理院Webサイト写真に加筆)

 東楽寺には平安時代後期の十一面観音菩薩立像や金剛力士像があります。これらの古い仏像群は、江戸時代の盛岡藩主南部重直のとき、盛岡城下の仁王観音堂から移されたものと、姫神山周辺の観世音が集められたともいわれています。明治の廃仏毀釈で玉山観音堂も廃され、この寺に集められました。

 この寺の東方の丘陵に経塚のある十二神山があり、南に突き出す舌状台地を活用して玉山館が築かれています。南側に主郭である大館、大きな堀切を隔てて、北に小館が構えられ、周囲に二・三段の腰曲輪や、空堀が構えられています。周辺は金山地帯であり、十二神山の北東の山中から、玉山館の小館北側に至る、巨大な金掘り溝があります。こうした産金も、玉山氏一族の経済基盤であったと思われます。

 この城館の見どころは、①各曲輪と、堀、腰曲輪の比高差が大きく、大掛かりな土木工事で築かれている事。②東楽寺からきた大手道が、大館・小館間の堀切内の枡形のような所で道は右に折れ、大館北西側の箇所に登るようになっていること。などがあげられます。大規模な造成と共に、守りの工夫が凝らされています。

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大館の平坦部

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大館の東辺部

 大館は東側が最も高く、西側へ低くなる地形、当時は二段か三段に造成されていたらしい。

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小館東側の堀と腰曲輪

 中央の棚は堀内部にたてられている。右側は土塁。後方の土色が黒いところは、外側の堀が埋没した部分で、現地は幾分低みになっている(白黒垂直写真参照)。

背景は経塚のある十二神山。この十二神山の北側も、小規模な空堀が巡っている。

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小館東の堀と腰曲輪

 先ほどの反対側から見た状況。ススキの生えた土塁は、地山を削り出したものらしい。

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大堀切(右が大館、左が小館)

 堀の左寄りを大手道が登る。大館の木立の場所は突出部で、櫓が構えられたところか? この下は枡形状になっている。ここから、道は右に折れて、大館北西部に登る。

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大館から小館を見る

 大館北西部から小館を見たところ。枡形内を、小館・大館突出部・大館北西部の三方から攻撃できるように造られていることが、よくわかります。

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大館西側の腰曲輪

 大館・腰曲輪ともに、切岸は急勾配で、登りにくい。

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旧玉山観音堂(現在は玉山館東側の姫神神社拝殿)

 旧観音堂を改築したものといわれています。