城と館ー室野源太左衛門城館調査録ー

中世山城や古建築など、巡り歩いた情報を発信します。当面の間、過去の訪問先の情報が主になりますが、近い年月日の情報も随時発表していきます。

三ツ石神社ー鬼の手形ー


岩手県盛岡市須川町の、曹洞宗東顕寺(とうけんじ)の裏手にある神社で、古くから「三ツ石の神様」として、あがめられています。

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三ツ石神社の佇まい

背景に東顕寺の庫裏や本堂、開山堂が見え隠れします。

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三ツ石神社・東顕寺付近図

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境内の三ツ石

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説明板

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三ツ石

三つに割れた、大きな花崗岩で、地名の三ツ割の語源になっています。現在の名須川町は、三ツ割の一部を含んでいます。大きな岩に注連縄が張られ、古代の巨石信仰の名残ではないでしょうか。

最近、石の割れ目にお賽銭を突っ込む人がいるらしく、「石が脆くなるのでやめてください」という注意書きがありました。

説明の碑文にあるとおり、昔、里の人々を苦しめた羅刹という鬼が、三ツ石神に懲らしめられて、この岩に縛り付けられました。鬼はもう二度と里には出てこないと、泣きながら神様に許しを乞いました。三ツ石神は鬼に手形を押させ、それ以来二度と鬼が来ることはなくなったという伝説です。鬼が出なくなったことを里の人々が喜び、三ツ石神に感謝し、奉納した踊りが、「さんさ踊り」と言われています。

岩に手形を押したことから「岩手」、鬼が来なくなったことから、「不来方(こずかた)」の地名が生まれたと伝えられます。

この鬼の手形には苔が生えないといわれていて、若いころから何度も手形を探していましたが、見つけられずにいました。

苔の生えない晩秋や冬にはいくら探しても見つからないわけで、今までは時期がよくなかったのかもしれません。

新緑の季節になって、一番目の石と、二番目の石の間、一番石の割れ面に、これが手形かな?という跡をようやくみつけることができました。苔の盛んな夏になれば、もっとはっきりするのかもしれません。

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下の写真と比較してください

 

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おそらくこんな感じかな?

ようやく自分なりに納得できる、鬼の手をみることができました。

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一番大きな手形

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左下にある小ぶりの手形

私の手の右側

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ある方のお話では、この石の正面に大きな手形があって、雨上がりなどに手形が見えるとのことです。

しかし、信心が足りないせいなのか、何度見ても、私にはわかりませんでした。