城と館ー室野源太左衛門城館調査録ー

中世山城や古建築など、巡り歩いた情報を発信します。当面の間、過去の訪問先の情報が主になりますが、近い年月日の情報も随時発表していきます。

安倍館山下山途中のこと

<前書き>

この話は、このブログのカテゴリーのうち、「岩手県の城館」と「安倍館を歩く」にある「釜石市片岸町安倍館」の記事に一緒に書いてあった内容です。しかし、記事の内容から「怪異」の中に移動したものです。記事は一部改変しています。

 

東北地方大震災の翌年2月、釜石市片岸町の安倍館山に登りました。岩手県沿岸部は、内陸部とは異なり、雪はあまり積もりませんので、冬の山城調査にはうってつけの地域です。

 

この山の上には、平安時代安倍氏の残党が立てこもったという山城跡があるというので、山城調査のため登りました。麓の不動沢には一ノ滝、二ノ滝、三ノ滝があり、三ノ滝は比高差20mほどの滝が三筋ありますが、この日は厳冬期のためすべて凍り付いていました。

安倍館山は麓から見上げると、急峻ではあるけれども、全面樹木のある山に見えます。ところが、登ってみると、斜面の至る所に断崖がある岩山で、まるで修験道の山伏が修行するような、ひじょうに険しい山であることにおどろきました。

 

 この日、山頂付近の風は冷たく、氷点下7℃を下回っていたと思います。方位磁石も動きが悪く、時折懐で温めながら、どうにか使っていましたが、夕方が近くなるにつれて、ほとんど使用できなくなりました。一通り、山城の調査を終えたころ、雪交じりの風が吹いてきましたので、早めに下山を始めました。

 

 中腹の鉄塔までは、来た道をスムーズに下りました。自分の踏み跡を確かめながら、下山を急ぎました。標高150mほどのところまで来たときです。突然岩場の絶壁に阻まれてしまったのです。確かに、急な岩場に足をかけながら登ってきたのですが、こんな垂直に近い、高い絶壁をよじ登った覚えはありませんでした。周囲にはこの崖が続き、降りられません。仕方がないので、一度中腹まで登って、再度道を確かめながら下山しようとしました。見覚えのある中腹の鉄塔まで戻ると、再度踏み跡を確かめつつ下山します。ところが、今度は踏み跡が途中からわからなくなり、先ほどとは別の断崖に突き当たりました。何か、狐につままれたような気分になりました。

 

 再度、中腹まで戻り、今度はより慎重に降りましたが、南寄りに道を辿ったらしく、登るときに見た三ノ滝の真上に出てしまいました。ここも比高20m程の断崖なので、とても降りられません。仕方なく、また中腹まで戻りました。

 

途方に暮れましたが、夕暮れが近くなっていましたので、気を取り直して、今度は思い切って、北寄りに斜面を下って見ました。途中で大きな岩場に遭遇しましたが、岩と岩の間の狭い斜面をたどりつつ、何とか、駐車場の下の道に降りることができました。登った道よりも相当北側へ外れて、昼に登った不動沢よりも、尾根を隔てた北の斜面を下ったようです。

もう、日没が過ぎ、暗い中を駐車場に向かいましたが、どうにか車に入り、少し休憩してから、帰路につきました。

 

踏み跡を確かめながら降りたにもかかわらず、一体、どうして途中で道がわからなくなったのか、人里に近い山の中で、なぜ長時間彷徨したのか、どうしてもわかりませんでした。疲労のためか、実際には登った岩場が、実際以上に切り立って見えたのでしょうか?

 

山中で、リングワンデリングという、同じところを何度も行き来して、なかなか進めなくなることが起きるという話を、山の本で読んだことがあります。これもそういうことだったのかもしれませんが、人里近い低山でも、方向を見失い、遭難したニュースを時々耳にします。実際に、時にはこういうことも起きるわけで、山中の行動には、充分な注意が必要なのだと、改めて思い知らされました。