国見峠から貝吹岳
今から7年ほど前の夏、主治医の奨めもあり、リハビリを兼ねて国見峠を歩きました。国見峠は岩手県と秋田県の境にあり、現在は国道46号線の仙岩トンネルが貝吹岳の中腹を通じています。峠の北東側、国見温泉に車を駐車して、沢を渡り、国見峠に向かいました。
国見温泉下の沢
沢から国見温泉を見上げる
国見峠への山道
廻りは笹がびっしりでよく見えません。
是れより北東盛岡領の石碑
温泉から30分ほどで国見峠頂上に到達しました。幕末に建てられた「従是北東盛岡領」の石碑が出迎えます。戊辰戦争では盛岡藩兵がここから秋田領に進軍しました。
峠の西側(秋田側)にある石祠です
国見峠
国見峠から仙岩峠への道 途中笹藪で道がわからないところもありました。
仙岩峠のヒヤ潟
国見峠からの坂道を下ると、この池の東側に出てきます。
仙岩峠から秋田側を見る
貝吹岳
貝吹岳を南に見ながら峠の道を南へと進みます。
山頂のすぐ下、犬走りのようなテラスが存在し、笹の水平の段になって見えます。
正午ごろ、貝吹岳に登頂しました。西の方を眺めてみると、田沢湖も見えました。山頂部分は瓢箪形で、鞍部には通信用反射板が二つ建てられています。
この貝吹岳は、戦国時代滴石の領主であった戸沢氏が、敵の攻撃によって秋田に遁れる途中、この山から滴石に向けて法螺貝を吹き鳴らしたことに由来している山だそうです。秋田県側の仙北門屋から角館も戸沢氏が領主になっており、おそらくは一族だろうと思われます。岩手県側では天文9年(1540)斯波氏、南部氏に滴石城が攻略されて仙北に遁れたと伝えられており、伝承の法螺貝を吹鳴したのはこの時と思われますが、それ以前からこの山は、陸奥岩手と出羽の仙北の戸沢氏の連絡に使用されていたのではないでしょうか。当時の連絡法として法螺貝や鐘を鳴らすほか、狼煙(のろし)を挙げるなどがありました。貝吹岳は砦が置かれ、狼煙台としても機能した山と考えられます。
貝吹岳から再び仙岩峠に向い、途中で「従是南西秋田領」の石碑、助け小屋跡を見て、岩手県側に旧道を下りました。旧道は舗装されていますが、所々崩れて道が失われていて危険な場所になっていました。現在は通行禁止区間になっています。国見温泉に登り、車に乗って帰りました。
雫石から見た貝吹岳