山猫の山ある記

中世山城や古建築など、巡り歩いた情報を発信します。当面の間、過去の訪問先の情報が主になりますが、近い年月日の情報も随時発表していきます。

安倍館 ~山城の探索と下山ルートに迷ったこと~


 大震災翌年の2月、岩手県釜石市片岸町と上閉伊郡(かみへいぐん)大槌町との境にある安倍館(高舘)に登りました。場所は釜石市鵜住居川の北、片岸町や古廟坂トンネルの西側、標高333mの山頂です。安倍館と呼ばれる山の頂に、城館の遺構が実際に存在するのかどうか、ずいぶん以前から関心があったのだが、なかなか探索を果たせないでいました。岩手県内陸部や秋田県などの山城は、厳冬期になると積雪で歩けないところが多いのですが、沿岸部ならば積雪は少なく、高い山でも登頂できる可能性がある。目的地の気象情報を見て積雪がほとんどないのを確認し、現地に向かいました。

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鵜住居から見た安倍館

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位置図(国土地理院

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片岸町から見上げた安倍館

 

 釜石市鵜住居や片岸町も、前年3月11日の大津波によって、低い場所の人家はほとんど流されて、小高い山際の人家だけが残されていました。なんとも空虚で悲しい光景です。坂を登って行くと高舘不動尊の立て札があり、右にカーブしたところの駐車場に車を置いて、簡単な昼食のあと不動沢に入りました。まもなく不動明王の石像とその近くに凍り付いた一ノ滝がありました。さらに奥に入ると二ノ滝、さらに高いところに左右二筋に分かれて凍り付いた三ノ滝がありました。高さは15ⅿほど、両側は20ⅿ近い断崖です。滝の手前の右手(北側)の斜面を登りはじめましたが、かなり急峻な地形です。この山は麓から見上げれば樹木に覆われていますが、実際の斜面は至る所に岩肌があり、もしも足を踏み外したらば命を落としそうな絶壁もあります。まるで修験道の山伏が修行する霊場みたいな山です。それでも急斜面や山道を辿りながら、時々岩場をよじ登り、中腹の鉄塔のある尾根まで登ってきました。このあたりから上の斜面も岩が多く露出し、大石の間を道が通じているところも通りました。付近の樹木は地表から1ⅿぐらいまで焼け焦げて、震災時の山火事の痕跡です。日陰には残雪も見られました。

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不動明王像と一ノ滝

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二ノ滝

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三ノ滝

f:id:hm-yamaneko:20180929184906j:plain山道の石門のような所

そこからさらに斜面を登ると、やや独立したピークに到達しました。ここは自然地形ですが、物見に適した地形です。南側は斜面で北側や東側は絶壁になっています。

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西から見た物見

北側(左側)は高さ30mぐらい垂直に切り立った断崖です。

 

自然の鞍部を隔てたより高い場所には、山頂東側尾根の先端が見えます。この尾根のうえに登るり、周囲を見渡すと、ようやく山頂部分へに到達したのを実感しました。

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副郭東端の物見(南から)

尾根の東端からは太平洋がよく見えますが、この日は曇っていました。尾根の上面はかすかな段差があり、いくらか人工造成が認められます。東端部は間違いなく物見だと思います。東西に細長い山頂部で、長さは約150ⅿ、東端から40ⅿあまりのところに幅11ⅿ、深さ4ⅿの堀(空堀)が西側を囲むように掘られていて、これよりも西側が山城

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                            安倍館(高舘)中心部           ※ 転載は御遠慮ください

 

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堀と主郭(東から)

 

 

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東側の堀(南から)

 

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南尾根の堀(西から)

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西側尾根と堀を見下ろす

の主体部であることがわかります。ここから西端までは98ⅿほど、西側は二股の尾根になっていて、尾根の付け根はやや小さな堀で区切られています。頂上平坦部の幅は12ⅿ~16ⅿあり、この部分が主郭(しゅかく:本丸に相当する主体部)になります。中央部と東端は幾分高く、中央の標高が333ⅿ、細長い主郭の中は、1ⅿ内外のわずかな段差や低い小規模な土塁で区分され、8区画ほどに区切られています。山城の当時はそれぞれに山小屋のような小さな建物が建てられていたのではないでしょうか。

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 主郭の内部(西から)

 

f:id:hm-yamaneko:20180929205815j:plain 主郭南側の露岩

 この山城は平安時代後期の安倍氏の残党が立てこもり、桜川館の源義家に攻められて落城し、橋野方面に逃れた伝承があるそうです。山城は堀とテラスが周回する古風な構造ですが、西側尾根と南尾根の湾曲した堀の構えなど、遺構の様子からはもっと新しく、室町時代のような印象を受けます。規模からみて200人も立てこもれないくらいこじんまりとした山城で、日常的に大人数が籠城するような城ではありません。この山は北の大槌城からもよく見える山で、周囲の眺望にも優れています。おそらくは室町時代の大槌城の支城で、周囲の監視や狼煙台として伝達機能を担った山城だったのではないでしょうか。

 この日はかなり寒く、時折方位磁石を衣類の内側に入れて温めなければ磁石の回転が鈍り使えなくなるほど冷たい風が吹いていました。おそらく氷点下7℃を下回っていたと思います。しだいに風が強く吹き雪も混じってきたので、早めに下山をはじめました。登ってきた道筋を辿りながら、鉄塔のある中腹まではすぐに降りられました。ところが、標高150ⅿ付近までおりたとき、いきなり岩の断崖につきあたってしまいました。こんな危ないところを登った覚えはありません。周りを見回しても崖が続き、降りられそうにありませんでしたので、はっきりした道筋を確認するために一度中腹まで登って戻ることにしました。鉄塔の少し下の中腹には自分の踏み跡が残っていて、道を確かめて再び下山しました。しかし次第に登ってきたところが分からなくなり、別の断崖に突き当たりました。再度中腹まで戻り、道を確かめてから再び下山します。すると今度は登る時に見た凍結した三ノ滝の上に出てしまいました。20m近い断崖ですのでここも降りられません。結局三度中腹に戻り、狐に騙さたれたような気持ちになりました。ぐずぐずしていると暗くなってしまいますので、なんとかして降りられるところを探さなくてはなりません。今度は中腹からやや北側に道をとり、大きな岩と断崖の間をどうにか降りられる斜面をさがして、崖の下を岩伝いに回り込んで、遠回りをしてなんとか不動沢の下の駐車場付近に戻ることができました。不動沢から尾根を一つ隔てた北側の沢を降りてきたようです。あたりはもうかなり暗くなっていましたが、雪は降っておりませんでした。どうにか車に戻り、少し休んだあと、帰途につきました。

 木の葉のない見通しの良い冬の山で、さほど悪天候でもないときに、山道や自分の踏み跡をたどりながら、下山ルートは覚えていて自信があったにもかかわらず、なぜ途中で道を見失ってしまったのか、なぜ斜面を右往左往したのか、よく考えても解りませんでした。自覚していた以上に疲労して感覚を失っていたのでしょうか。山中で登山者が進路を見失い、同じところを何度もめぐり続けるリングワンダリングという現象がおきることは、以前に本で読んだことがありますが、これに近いようなことを標高差300ⅿ余の里山で経験することになったのです。山菜取りなどで山に入り遭難する話をよく耳にするのもわかるような気がしてきました。                                     (hm-yamaneko)