城と館ー室野源太左衛門城館調査録ー

中世山城や古建築など、巡り歩いた情報を発信します。当面の間、過去の訪問先の情報が主になりますが、近い年月日の情報も随時発表していきます。

花卷城の円城寺門

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 花卷城三ノ丸跡の鳥谷崎神社境内に移築されている円城寺門です。花卷城で唯一残る建築遺構で、城の櫓門としては岩手県内唯一の門です。旧和賀氏本城二子城(北上市)の大手門を、慶長年間に南部利直が移したと伝えられていますが、当時の部材がどの程度残されているのかは不明だそうです。櫓門としては小ぶりですが、門扉は透かし構えの格子になっております(現状は表側に横板を貼っていますので、内側に回ると格子戸が見られます)。また櫓の前面が出し桁で張り出し、当時は石落としになっていたと推定され、櫓中央の連子窓に突上げ戸の左右には矢狭間と鉄砲狭間を備えた実戦的な構えを見せています。花卷城当時は現在位置よりも30mほど南側の円城寺坂を登ったところに土塁の枡形があり、右折れで曲がったところに西面して建てられていたようです。円城寺は延壽寺とも呼ばれ、南部氏以前の稗貫氏時代にこの場所に存在した寺院の名称です。南部氏の花卷城追手門は三ノ丸西側で現在の花卷市役所本庁舎の東側にありました。三ノ丸南側に構えられた円城寺門は、花卷城の搦手門と云われていますが、円城寺坂の下には喰違土塁を備えた外枡形の虎口が存在し、城の縄張から見れば、本来はここが大手門として設計された可能性があります。

f:id:hm-yamaneko:20181024213103j:plain扉の内側は格子が残る

門扉を格子とする透かし構えは、外敵に対して槍衾(やりぶすま)をつくり撃退するためのもの。櫓門では長野県飯田城の八間門が現在も格子の透かし構えで残っていますが、江戸時代の城郭では透かし構えは少なくなり、現存する事例はあまり多くないようです。

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円城寺門跡

右手の下り坂は円城寺坂、中央に土塁の痕跡がわずかに残存。その左側住宅へ入るところが門の跡か?